宇宙の愛で

昼間に照りつけられたアスファルトの熱が、夕方になっても地上の温度を上げているような夕暮れ。暑さに溜息が出そうになるのをこらえながら、不意に見上げた空に、白くはっきりと美しい半月を見つけた。
空を見上げたのは久しぶりだったので、思いもかけず美しいものに出会えたことが嬉しくて少し眺めていたら、遠くから飛行機が月へ向けて飛んでくる。ちょうど太陽の光が飛行機を照らし出して、キラキラ白く輝いている。月を輝かす光と同じ太陽の光が、頭上の飛行機を照らしている。当たり前の事実だけど、それがとても神秘的なことのように思えたりもする。自分がいる場所と、飛行機、月、太陽が光によって一つに繋がっているように思えたからだ。

先日、自分の魂を知るために、とても貴重な時間を持つことができた。
以前と同じ時間を生きてはいても、世界を見つめる目線が一変した。自分を知れば知るほど、人生は生きやすくなる。本当の自分自身とは、宇宙の一部と同じなのだとわかるようになるからだ。
大きな宇宙に抱かれて、あたたかな愛に包まれ続けて、私は宇宙の温泉に浸かっているような安心した気持になっている。
愛に対する概念や、大きさがすっかり変わってしまった。宇宙と一緒に人生を創造していると、愛は本当に大きいのだとわかる。そして人間はもちろんのこと、植物や動物も、より身近に思えてくる。自分というユニークな人生をめいいっぱい幸せに生きることで、宇宙にその波動が波紋のように広がっていくのだと思うと、人生がより愛おしくなる。

今日、自分のためにと本屋さんで手にした一冊は、西畠清順さんの「教えてくれたのは、植物でした」という本。植物と共に生きてきた人の言葉は、気負うことなく等身大で、心にすーっと届いてくる。今を一歩一歩切り開いて、自らの足で歩き生きていることが伝わってくる。そして何より魂に響くのは、人生を全身で愛する人の言葉だからだと思う。

丘の海へ。

昨日は久しぶりに星ヶ丘のSEWING TABLE COFFEE へ行きました。開催中の作品展を見に行くためと、遅ればせながらの15周年のお祝いを伝えるためでした。

SEWING TABLE COFFEEのお二人と出会って15年。自分らしく、無理なく自然体で生きる姿は、いつ見てもスカッと気持よくさせてもらえます。沢山の人たちが二人の元へ訪れるのも、その大らかな海のような気持良さに共感してのことだと思います。
私がその場所へ辿りついたのは、まだ自分の活動を始めたばかりのころ。その時からずっと変わらずに大切で大好きな場所です。

(写真は自宅アトリエ。インド刺繍のサンプラー(おそらくクッション用)をお守りに。)

時は満ちて

小海老草
祖母から教えてもらった草花の一つ。小海老と名付けられているけれど、葉も萼も柔らかくふんわりとしていて、見た目の印象よりも繊細。そこが魅力的で、風にふわふわと揺らされている姿を飽きる事なく眺めてしまう。

このブログを書いている途中、突然パチン!!と小さな小さな破裂音がして、何かが飛び散ったようでびっくりした。
よく辺りを見回してみると植物の種のようだった。小さな小さな黒い種を三つみつけたものの、何の植物なのかさっぱりわからない。
部屋に飾った植物をそのままドライにして置いているけど、種がついた植物は手元になかったので、とても不思議でしようがない。。。しばらく追跡しようと試みたけれど、謎は謎のままに。そんな一日があってもいいだろうと思い直し、再びブログを書き始めることにした。

目に見えていないところで、大切な物事の種は順調に育ち、時を温めている。
そして時が満ちた瞬間に、待ってましたとばかりに破裂してこの世界に飛び出してゆく。
(なんだか前回のブログの続きを書いているよう。。。)
一人の人間が見ている世界というのは、本当にほんの一部なのだと自覚する。
小さな種の爆発は、私の意識の目を開かせる。それは広大な宇宙で星が爆発するのと同じくらい大きな影響力を持つ。その証拠に、私は始めに書こうとしていた内容を離れ、星の爆発のことを書いている(笑)

さっき私のもとに飛んできた種は土に植えて、宇宙の循環をさせてみようと思う。

新しい生命を宿す期間

「直観、それは、独特で形に現れていないものの位置を定めるために、物事の核心に迫っていく道筋を知性で感じとる方法である。現実を相対的に認識するのではなく、絶対的に把握し、現実の外に観点をとるのではなく、その中に立ち、いかなる翻訳や象徴的な描写にもよらず現実を理解する方法、それが形而上学である。」アンリ・ベルグソン

庭のカラーが美しい曲線を描いていたので、不意にジョージア・オキーフの二つのカラーリリーを思い出して画集を開いた。彼女も「より深いもの、本物の生きた形」を表現したいと努力し続けた人。
その本の中に、ベルグソンの言葉があった。
自分が今生きて感じるもの、そこにある生きた形を、もっと生き生きと表現する方法はないだろうか?
私はそういうところと、今じっくり向き合っている。向き合う時間をすっ飛ばして、行動を起こしていくと、たちまち空虚なものが生まれてくる。それをここ数年で痛感したので、我慢強く向き合っている。

動けないことにイライラじれったく思っていたけれど、それ以前にすべきことがある。
芸術家が自分から目を背けたら何も生まれない。
作品を制作する過程で大きな愛と一つになるとき、私はその作品の中にいる。だからこそ直観のままの魂がそこに浮かび上がってくる。

出産には命を温める期間がある。小さな魂が、現世で生きる力と形を持てるまで、母なる子宮は静かに育て続ける。目に見えないところで、力強い命の躍動が起こっている。
その期間を飛ばして出産することは出来ない。そう思うと、今の時期をとても大事に感じることが出来る。10年ほど、戦い続け、前進し続けてしまったから、今は本質にそっと立ち返り、新しい命を宿す時期なのだと感じる。

『百窓の半分ージョセフコーネルへのオマージュ』展

7月に開催する展覧会のお知らせです。
神戸のギャラリーAoで開催されるコラージュボックスの国際公募グループ展に参加します。

百窓文庫、コーネルのライブラリーカフェCORENOZ主宰。
沢山のコラージュ作品が展示される予定なので、是非足をお運び下さい。

 

全身で呼吸する姿

作品のために一つを深く見つめる時間を持っています
庭のオレガノはKento Beautyという観賞用の花が咲くもので、萼の部分が光に透けると本当に美しい。じっくりと眺めていると、蝶の羽根模様にも見えてくるし、人の血脈のようにも思えてきます。ミクロからマクロへ目線を変えると、全ては一つのものなのだと思えてなりません。仔細にスケッチして思うのは、形の美しさはとことん見つめてしまうと形から離れていくということ。葉脈の作り出す形は生命が自身の体を育てるための道。植物だけでなく、人や動物の中にも同じように広がっている美しい生命の広がり。全身で呼吸する姿。命が次世代へ受け継がれていくための流れ。土からの栄養、水、空気、太陽の光、風など、様々なものが一つに繋がりながら生まれた緻密で美しい佇まい。

Serendipity

今日は久しぶりに大好きなパティスリーへ行きました。
大阪の本庄西にある「le tempo de l’escargot」です。名前も素敵なのです。
静かな住宅地の中にあるお店には、その日のおススメケーキが小さなショーケースに並んでいます。店主さんの世界観が心地よく伝わってくるパティスリーです。店内でゆっくりと抹茶のオペラとアイスティーを頂き、いい気分になってお礼を伝え、帰ろうかとドアを開ける寸前に、壁に貼ってあるフライヤーに目が留まりました。
白い素敵なドレスシャツのフライヤー、行きたくて行けずにいたTabrikのcollectionでした。
京都で開催された展示会に行けずとても残念に思っていたところだったので、神戸でちょうど今開催されていることがわかり、幸せな気分に。行きたいところには、ちゃんと行けるようになっている☆

今月は自分の好きなものに、改めて深く触れる時間を沢山持とうと思います。

五感のためのレッスン

ハーブの優しい作用を生活に取り入れて楽しんでいます。
今日は朝からラベンダービネガー、ローリエオイル、エルダーフラワーのコーディアルを仕込みました。コーディアルを作るとき、ハーブを濃いめに煮出すのですが、その時間は本当に良い香りが漂っていました。オイルやビネガーにハーブの香りとエネルギーが移るのには少し時間がかかりますが、待つこともまた楽しみです。
最近は少し疲れてきたら、ハイビスカスとローズヒップに自分好みのハーブをブレンドしてハーブティーを作って飲んでいます。色々試していると、ふっと自分の好きな味になることがあり、お気に入りのブレンドを見つけることができます。
味覚、嗅覚の感覚も鍛えられてきます。普段何気なく料理をしていますが、野菜を切ったり、果物の皮をむいたりする時にも良い香りがすることに気が付いたりします。

最近思うのは、生きていくうえではあまり感覚が鋭くないほうが楽でいられるし、そのほうが良いことも多々あるということ。ですが、生きているという実感を沢山味わうために五感を沢山使って生きていたいなとも思うのです。

雨上がりの道に吹く風

太陽のエネルギーが高まってきたのと時を同じくして、ようやく体が回復したことを感じました。風が本当に清々しくて、それだけでも感動してしまいます。
4月に入院、手術をして、その後自宅療養で傷の回復を待つ間、40年の人生の中でも一番かと思えるほど静かな日々を過ごしました。体の組織が回復するのには、思いのほか時間が必要なのですね。とても貴重な時間を与えてもらえた気がしました。

 

今日は形を残さないコラージュ作品を、ジャズのアドリブ演奏のように制作しました。
一瞬の奇跡を楽しむ時間。何も形に残らなくても、体でまるごと感じることに意味がある。きっと何事も、経験したことは心身の栄養になって、自分の魂を育ててくれると思うのです。

愛を運ぶ

体は静かに強く語りかけてくる
あなたは声を取り戻したのだと

私はすぐに返事をする
声を取り戻しても語る言葉が見つからないと

体は安心したように微笑んで言う
探すのをやめたほうが、早く見つかるものだと
頭を使わずに声を使えばいい
その方がずっとあなたらしい言葉が出るはずだからと

体との対話はとても豊かだ。
体の隅々へ心を向けていくと、小さく固まったものが解かれ
そこへ優しい空気がふわりと注がれる。
体へ愛を注ぐということは、そのまま自分へ愛を注ぐこととなる。
それが出来ることで、ようやく人を愛することの意味を知る。
体は魂を運ぶ舟。
愛することを荒々しくも教えてくれる

 

 

 

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