1本の道を歩きながら

ただ毎日コツコツと一針を重ねて
何もなかったところに小さな形が生まれていく

どんなに華やかに見える世界でも、日々の仕事というものは
本当に地道なことの積み重ねなのだと、最近つくづくそう思う。
自分の道を歩き始めた瞬間から、その地道さに気が付く。
アーティストが毎日個展を開いている訳ではなく、
一人で黙々と作品を作っている時間のほうが長いのだ。
まず手を動かす。そして試行錯誤の繰り返し。
地道な作業を嫌いにならずに続けられる力や、良い作品が生まれない時にも
めげずに踏ん張れる力が一番の才能なのではないかと、私は常々思っている。
だから一つの道をコツコツ一生続けられる職人さんやアーティストを、
私は本当に尊敬している。

石の上にも30年。私の師匠が言っていた言葉。
30年がんばって、ようやくその世界に近づけるのかもしれない。
そのために、今できることをコツコツ。
一針を重ねられる喜びに感謝しながら、コツコツと。

Parisのツバメ

大好きなお店が昨年20周年だったことを、つい最近知った。
北堀江のシャムアさん。
カフェとフランスアンティークの食器や生活雑貨のお店で、店主の松橋さんは北堀江のマリア様と言われているほどに素敵な方。お店の中は松橋さんの買い付けてきた素敵なもので溢れている。可愛い雰囲気だけど、可愛いだけではなくて、その中に歴史と思いがしっかりと見えるお店。
数年前に上階の屋根裏のようなお部屋をギャラリーにして、色々な作家さんを紹介してくれている。

長くお付き合いさせてもらっているけれど、昨年はなかなかお店に伺えなくて記念のタイミングをお祝いすることが出来なかったことがとても残念だった。
今年は時間が沢山できたこともあり、ちょくちょく顔を出させてもらっていたので、12月に開催される手仕事展に参加させてもらうことになった。
せっかくだから、シャムアの大事なモチーフを刺繍したいなと思い、お聞きしたところ、ツバメが大好きだということだった。よく見るとお店のいたるところにツバメモチーフがあって、その中から一つだけ選び、その形を刺繍の図案にさせてもらった。

ツバメはオスカー・ワイルドの「幸福な王子」で愛の鳥だったし、ヨーロッパのアンティークジュエリーなどのモチーフとして好まれていた。幸せや平安のシンボルになっている。

いつもならブローチはレザーで裏張りしてすっきりとしたものを作るけれど、今回はシャムアの柔らかなイメージにしたくて、少しふんわりと優しい触り心地のブローチ。

松橋さんは、私の手仕事をずっと見守って応援し続けて下さる人。
活動がうまくいっている時も、そうでない時も、変わらず応援し続けて下さって、本当に心が救われていた。うまいっている時というのは、周りに人が沢山集まってくるけれど、そうでない時にもそばにいて下さる人は、本当に大切にしたいと思う。

私も今年で17年目。松橋さんのシャムアのように、素敵な歴史を紡いで20年を感謝できるように、一つ一つ大事に作り、やわらかな愛の循環を続けていきたいと思う。

一粒に、無限の宇宙を見る

つい先日のこと。
風邪が悪化してしまい、声が出にくくなってしまったので急遽出先から帰宅する途中で、以前アルバイトをさせてもらっていたドレス会社のアトリエのマネージャーさんと偶然再会した。熱っぽくぼんやりしていたので、支離滅裂な会話をしたように思うけれど、偶然出会う時というのは、そんなものかもしれない(笑)
ああしなくては、こうしなくては、、、というような思考に余計なコントロールのないとき、物事は思わぬ方向から素敵なことが突然やってくる。昔からよくミラクルが起こる人生なのだけれど、何かに夢中で生きていると素敵なことも惹き付けられてくるのだろうなと思う。

制作中のオーナメントは少しずつ増えてきて、デスクの上が楽しいことになっている。
たまにスキャパレッリの本のページを開く。囚われから自由になりたいときに。

どんなに小さい作品の中にも、無限の宇宙があるのかもしれない。
作品に何かを感じるのは作り手ではなく、見る側の共鳴によるもの。見る人がこの小さな作品の宇宙と繋がったときに、急に世界が広がって、そこに物語が生まれる。
そういう共鳴の喜びを知っているから、作品を作り続けているのだろうと思う。

オーナメントの紐に使った繊細なレースは、佐渡に移住した知人から引っ越し前に譲ってもらったもの。スイスで手に入れたアンティークレースだから作品に活かして欲しいということだった。何かぴったりくる作品を作る時に使おうと思って、ずっと取っておいたものだ。刺繍の雰囲気ともぴったりだし、今年のクリスマスは何だか特別な感じがするから、大切に仕上げていこうと思う。

 

小さな作品

12月に小さめの作品を少し展示販売することになりました。
クリスマスギフトの手仕事。

腱鞘炎の手を休めるために、長い期間作品発表の場を持たずにいましたが、ようやく少しずつ作れるようになってきたので、小さな作品からお届けしていきます。
ギフトになるものを、と思いながら制作を始めましたが、「作れること」自体が私にとってはギフトでもあり、作る喜びをしみじみ感じて、じんわりあたたかな気持になります。
当たり前のことが、当たり前でなくなったときにその大切さが身にしみてわかります。
月並みではありますが、作る喜びに愛溢れる作品なので、今から楽しみにしていて下さい。
詳しい日程はわかりしだいアップします。

さて。
作品展のとき毎回、何か新しい技術を取り入れていくということを心において仕事してきたのですが、今回も新しいステッチを一つ取り入れました。
今までは糸で空間を埋めるように刺していたのですが、空間をあけることで糸の線に風をいれるような心地よいステッチです。
人生に対して真面目なほど、一つ一つの物事に対してもとことん完璧を目指そうとします。私はそういうところがあって、突き詰めるほどがちがちになっていたように思います。どんどん武装を固めてしまうような、良い加減を通り越してしまう時があるのです。

手を痛めたことで、自分にとってベストな生き方を知りました。
それは「良い加減をキープすること」です。
心と身体の声を聞きながら、それ以上は目指さないということ。
自分の限界を知ることは、誰にとっても悔しくて辛いことですが、それは限界というよりも、もうすでに自分のベストに充分到達していたのだと受け入れることが大切。
それを深め、愛することのほうが今は大事な気がしています。
自分を知るということは、きっとそういうことなのだと思います。

手の中に残った言葉

ここ数日、ずっと手紙の返事を書いている。
そして書いては捨てている。

それはなぜか。
メールではなく、手紙をくれた友人へ向けて、
本当に伝えたいことだけ言葉にして
短くても心が伝わるようにと書き出すのだけれど、
何故か全ての言葉が自分へ向けて言われているように感じてくるのだ。
自分が自分へ向けて書いているような、奇妙な気持になって、捨ててしまう。
根本的な問いの答えは、同じところにあるのかもしれない。

何度も書いて、手元に残った言葉を
短いけれど心を込めた返事にして、近々送ろうと思う。

奇妙な味付けの日

お昼にパッタイ用の米麺で温かいスープ麺を作ってみた。
久しぶりのタイの米麺料理は、薄味にしすぎていまひとつ。ぼんやりした味になってしまった。昔NYで食べた楽しく美味しい味の記憶にはほど遠い。

夜ご飯のあと、癒しのハーブティーをと思い煎れてみたけれど、これまた変なブレンドの味。お世辞にも美味しいとは言えない味になってしまった。

まあ、こういう日もある。

それでも、夕方に観た映画はとてもよかった。
ここ2週間くらいの間ずっと気になっていたジム・ジャームッシュの「パターソン」をようやく観てきた。何度か予定に入れていたのに、なぜか足が進まず伸ばし伸ばしになっていた。でもやっぱり観ておきたくて、ようやく。

いつまでも、こういう映画を愛おしいと思える自分でいたいと、静かに思う。

草編み

重陽の節句の9日に、草編みのワークショップを受けました。
編み紐の作り手の中村未来子さんは、ラトビアでのハーバルツアーがきっかけで草を紐に編み込んで作品を作る事を始めたそうです。
三つ編みをアレンジして草を編み込んでいく方法は、とても簡単だけれど面白い。
星ヶ丘の原っぱに咲いている雑草から、素敵な作品が生まれていきました。
編むという作業は単純で根気のいる作業。あまり得意ではなかったけれど、やり始めると面白くなってしまい、次はこんなんを作ろうかな?とあっという間に何個か出来てしまいました。

創造する作業は本当にワクワクする。作ることが本当に好きなんだなあと実感。
外で自然を感じながら、自然を素材として作る草編み。
純粋にその時間を楽しめるのは、とても幸せ。何かのためでもなく、誰かのためでもない。
ただただ草を編み、おしゃべりをして。良い時間でした。

中村 未来子 編み紐作品展 with plants
2017.9.6-17 SEWING TABLE COFFEE

オーダーバッグについてのお知らせ。

ただいま手の治療をしながらの作品制作のため、鞄のオーダーメイドはお休みしています。
少しずつ作品を作りためておりますので、来年の作品展の際に、オーダのご相談はできたらいいなと思っています。(過去の作品はオンラインショップより購入いただけます)
その他、何かご相談がございましたら、お気軽に一度メールにてお問い合わせ下さい。

尚、携帯電話のメールアドレスからご連絡をいただくお客様は、パソコンからの返信が届かないことがございますので、設定をよろしくお願い致します。

 

芽が教えてくれたこと。

先月の終わりに植えた小さな種が、最近芽を出して双葉になっていた。
その種は、私の部屋に弾けて飛んできたものだけど、何の種なのかはわからない。
小さくて少しだけハートのような形をしていたので、何の植物の種か知りたくて、植木鉢に植えてみたのだった。しばらく何の変化もなかったので、もう諦めかけていたのだけれど。
小さく乾いていても、ちゃんと生きていたのだなあと思うと愛おしい。

最近いろんなことが世界でも、身の回りでも起きている。天体の配置を調べてみると、とても強い変化のエネルギーに満ちているみたい。体の調子が悪かったり、気持がゆらいだりしやすいそう。
人間は宇宙の中で生きている。それを現代の人は忘れてしまっている。だから波に逆らうように進んでみたり、社会や情報に振り回されて右往左往してしまう。
地球に生きる私たちは宇宙にある星と共に、色んなエネルギーと影響し合い、共有しながら生きている。
それを知ると今が休む時なのか、動き続ける時なのか、そして何を選ぶべきなのかがすぐにわかるようになる。
人生が根本から変わるとき、古いものは一掃される。土台が更地になるように、、、。
そして、新しいものが生まれる時がくれば、静かに芽が出始める。そこから先は、きっととても早いスピードで物事が進みぐんぐん成長していくだろう。
小さな芽をみながら、そんなことを思っていた。

 

自分のなかに流れる音楽

9月に入って、急に風が透き通って、秋のいい匂いを含みはじめた。
今年はその変化が急激にやってきている。

今日は個性を大事にするということの、本当の意味に触れる出来事があった。
最近自分が接する人たちが少し変化していて、早口で沢山しゃべり、沢山笑う人が増えていた。そして、私はというと、それを微笑みながら静かに聞いていて、たまに相づちを打つという感じ。早口で話すのは苦手なので、その話の早さに付いていけないのが正直なところだった。そのことにだいぶ気後れしていた。
そしてふと気が付いた。自分のゆったりしたリズムを卑下する必要もなく、良い悪いとジャッジする必要など全くないのだと。個性とは、その人の生きる時間そのものだ。人と違うからといって、それをどうして、いつから悪いことだと判断するようになったのだろう?

個性を大事にするということは、自分の持つリズムや生き方を大事に尊重すること。
他のものと合わないとき、無理に合わせる必要もなければ、自分をゆがめる必要もない。
私は時々、個性的であることをゆがめて、世間一般に合わせなくちゃと思う時がある。それはその他大勢というものが力を持っているような気がするときなのだと思う。個性が強いということは、時にその他大勢以外で「ぽつん」と一人を経験することがある。それは仕方のないことなのだろう。人と違うことはユニークであるということ。
個性にブレーキをかける必要など一つもないのだ。大事にすべきは、自分の中に流れるリズムや音楽。そこに呼応するものを心地よく感じ、そうでないものは少し違和感を感じるだけのこと。改めて自分のリズムを大切に感じ、個性を愛おしいものだと知ることができた。
それはナルシズムではなく、自分の価値を認めるという根本的な事なのだと思う。
私の周りの早口で沢山話し、よく笑う愉快な人たちは、それを身をもって教えてくれた。

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