wise woman

ハーブのことを少しずつ勉強していく中で、ワイズウーマンの考え方というものを知りました。病気や怪我や、人生の中で起こる否定的と感じる出来事を、そのときだけの部分的な対処法で治療して終わるのではなく、もっと大らかに全体として捉える考え方です。何かが悪いからそれが起きたとは捉えずに、問題を取り除くことではなく、問題が運んでくれる意味や栄養となるものを見つける事に目を向けることによって、「命」という全体を見つめていきます。一人一人が独特であることを認め、そこから紐解いて自身の体や心の健康を全体的に見つめていきます。一人一人が健康であるということは、取り巻く人々も同様で、家族や共同体の健康へと広がっていく考え方です。女性にとっての体の問題も特に大切なこととして、大らかに見つめていきます。男性社会の中では、どうしても女性の体の問題は否定的な見方をしがちですが、大切な本質を改めて認識することで、自分自身をしっかりといたわり、命を育む力を持つ事ができるように思います。

最近、疑問に思っていた事が、今日その考え方を知る事で腑に落ちました。
治療するだけでは、根本的な問題に辿り着きません。また同じ事を繰り返してしまいます。もう一度生き生きと、生命力に溢れながら生きるための力を養うために、人生がひっくりかえるほどの出来事が自分の身に起きたのだとすれば、今この時間を何よりも愛しく大事にして、体を癒し、学ぶ時間に変えようと思います。

もし変えようと思うなら、本当に変えようと思うなら、世界は変えられる。
という有名な言葉を不意に思い出しました。
世界とまではいかなくとも、自分を変えるというのは、簡単なことではありません。慣れ親しんだ習慣から、人はなかなか変われないものです。それを変えるのには、やっぱり小さな一歩となる勇気、そして時間が必要です。でも本当に変えようと思ったとき、人はちゃんとその方法を見いだせるようになるし、時間も与えられる。本当に変えようと思うタイミングがきたときには、本当に変えられるのだと思います。

夕暮れを待ちながら

待つということが昔から苦手です。何事もつい前のめりになってしまうのです。
手仕事をし始めてからは、毎日が修業だと思い、「淡々と生きること」の鍛錬を積んできたはずなのですが、未だ習得できていないよう。そんなもの、かもしれないけれど。

自分の体の事となると、よけいに前のめりになってしまいます。体力の回復がものすごくのろのろしているように感じるのです。この原因は、自分の体年齢がまだ20代くらいだと思い込んでいるせいかもしれません。自己認識が足りないだけなのでしょうか、、、願わくばもう少しだけ大らかに、イライラせずにいられたらと思うのだけど。
そんな訳で、このところ自分の取扱いに難渋していました。

のろのろした日々でも、毎日一つくらいは小さな発見があって、それを眠る前に思い出します。
風がビュービュー吹いている中でも、枝から吹き飛ばされない葉がほとんどだという事なんかは、小さくても素敵な発見でした。
なりゆきにまかせて、自分の出来ることを最大限大切にしているなら、それで充分。葉っぱはそんなことを思わせてくれました。
今はちょうど、夕暮れを待つでもなく待っているところ。

一粒の星と千年の炎

一粒の星をそっと手のひらに包んだ。
それはずっと昔、一度つかみかけたものでもあり、もう忘れそうになっていた情熱の欠片でもあった。

 

「私たちの体を作るすべての要素は、星屑で出来ている」
私が大好きなお店の店主で、煌めく人は、その言葉をとても大切にしていた。
宇宙にある原素と私たちの体は同じもので出来ている。私たちを分け隔てるものは、本当は何もないのかもしれない。たとえ現世に肉体が存在しなくなったとしても、広大な宇宙の中で、時空を超えて星の欠片となり存在し続けていく。
宇宙の星がその一生を終え燃え尽きるとき、大きな爆発が起こる。一つの星は一度消滅して、その星の欠片が宇宙へ広がって、新しく煌めく命となる。小さな欠片は力を秘めた一つの生命。

 

手のひらの一粒の星は、静かな情熱を宿している。
私は不意に、千年以上燃え続ける炎を思い出した。
あの燃え続けている炎のような、しんと心を打つ炎。
そんな情熱が、私の手のひらに、ふわりと戻った。
一粒の星を、今はただ信じている。

小鳥

裏の家の人は、庭の手入れを一切していない。だから若葉の清々しいこの季節になると枝がぐんぐんと伸びてきて、二階の窓からも見えるくらいに育ってしまう。そのおかげで、私の家は山の中でも、森の中でもないのに、沢山の鳥の声がする。

今日小鳥が本当にすぐそばまで来て、遊びながらチュンチュン鳴いて近寄ってきた。
警戒心はゼロだった。
人は心が解かれていると植物や動物に近くなれるのかもしれない。
毎日森の中で生活していなくても、ストレスから無縁で調和がとれていれば穏やかでいられるし、自分を包む気配も変わってくるのかもしれない。

日常ではなかなかそうもいかない。
思うようにならないことが沢山だし、世界は不調和なことの方が多いから。
それでも、こうやって暮らしの中でひとときの調和を感じられることは、調和のある人生の一部なのかもしれない。

世界をまあるく包む風

ほのかな日射しがある木陰のベンチを選んで腰掛けた
生まれ育った町の見慣れた公園も、今の私には少し別世界のように感じる
まるで日常世界から切り離されてしまったような時間が、誰の人生にも一度か、または何度かはあるのだろうか?
ぼんやりそんなことを考えていたら、風が話しかけてきた
といってもこちらがそう思っただけのこと
風は木々の葉をさわさわと揺らしながら私の周りを吹いている
でも、いつものように吹き抜けてしまわずに、ゆったりと循環しているよう
安らかな暖かい空気で、世界をやわらかに、まあるく包んでくれている
風がこんなふうに吹くのはめずらしい

少しだけ特別な道

自宅から駅までの道。同じ道を何度も通る中で、その場所だけ少し特別な道というのがあります。
ただ単に、自分が好きな雰囲気の庭や家が並んでいる道ということなのですが、その一区画は少し他と雰囲気が違うのです。生活すること自体を楽しめる人が住んでいる家ということが、一目でわかる場所だからです。もしかしたら、悠々自適な引退後の生活なのかもしれません。それでも、長くそこに住んで暮らしを楽しめるというのは、心から満ち足りて生きる上で重要なことだと感じています。ありふれた住宅街の小さな一区画。その道にある営み。

普段から観察することが好きだからか、散歩をしていてもそういうお気に入りの場所をすぐに見つけます。他とは何か違う心地よいものを感じられる場所。大抵の人は忙しくて、いちいち道にあるものや、その土地の気配に目を向けたりしないのでしょうけど、些細なことにまで目を配ることは、私の生き方の大切な事の一つとなっていました。どんなに些細なものの中にでも、キラリとした大切なものが隠されている。そんな風に世界を見てしまうからかもしれません。(のんびり歩いているようで、その実は沢山のことを脳で情報処理していたのかもしれません。)ここ最近は、周りの風景から何かを得ようとすることを少し休んで、土地の空気を大らかに吸い込みながらただただ歩いています。

一度特別だと感じたものは、何年も長く大事に思えるものですものね。道は「満ち」でもある。大事にし続けられることで、心があたたかく満ちていくように思います。

最高の休息方法

身体を整える方法というのは、世の中に山ほどあって、情報を集める事は簡単な時代になったけれど、さて自分にしっくり合う方法とは一体どんなものだろうか。それを見極めるにはやってみるしかない。ということで色々と試している。

少しずつ日々に取り入れているのが、マインドフルネスの実践。身体の痛みや傷の回復が遅いのは、脳が疲れ果てているせいかもしれない。
作品を生み出すために、私の脳は常に何かを考え、インプットして引き出しを沢山作っておけるような思考回路になっている。そのため常に自動運転状態で、脳に安まる時間を与えることが出来ない。そんな脳の働きを少しずつ変えるために、マインドフルネスは自分にとってすごく良い気がした。自分自身の今に意識を向け続ける。日常生活の中では、思っている以上に意識はあっちこっちに飛んでいる。それを今に戻していく。歩く時は歩くことに。ご飯を食べる時は、しっかり味わうことに。そうやって少しずつ自分に戻るような時間を増やしていく。ヨガや瞑想で呼吸に意識を向けるのも同じ事なのだと思う。意識の全てを今ココに戻して、自分を取り戻す方法。人は自分を生きているようで、案外流れ作業のように自分をなくしたままに生きてはいないだろうか。
脳の働きと意識が鎮まってくると、身体の反応を感じる事が容易になってくる。嫌なことを考えたときに、どこがチクリと痛むのか、逆に幸せな事を思ったときにどれほど身体がほのぼのと緩まっているのか。脳の伝達と身体の反応と、それを感じる器官がちゃんと一つに繋がってくる。それが本来の状態なのだろうと思うのだけど。

多忙な日々では、なかなかそこまで自分の感覚に耳を澄ますことができない。今だからこそ出来ることを、大切に実践してもう一度生命力を高めたいと思う。

大病や大怪我などをした時に、人は一度生まれ直すのだろう。と先日何かの記事で書いてあったのが心に残っている。

Talking to the moon

このところずっと頭の中に流れている曲がある。CMでも使われているBruno Mars「Talking To The Moon」

古今東西いつの時代も変わらず、人は月に胸の内を打ち明けたり、その向こう側にいる相手を想い、愛を歌うものなのだろうか。太古からずっと変わらずに。無常の世界の中で、変わらないものもあると思うとじんわり嬉しくなる。

月は初期の地球に巨大な隕石が衝突し、その飛び散った小さな欠片が集まって出来上がったと言われる説が有力らしい。だから私たちは月を身近に感じ、自分の分身にして、心を開いて愛まで打ち明けてしまうのだろうか。月を刺繍していると、まるで水や海のない地球のようだと思った。

刺繍の大作は今のところ作れそうにないので、まん丸の月だけにしてあとはコラージュ。ふと満月の中に淡く甘い思い出が蘇ってしまい、心もとなくなってしまう。
午後四時を少しまわったところ。まだ愛を打ち明けるには明るすぎる。

スズランと白山吹

つい先日がスズランの日だったことを思い出し、庭のスズランを少しだけ分けてもらう。小さい花だけれど、気品があって可憐な香りがほんのりと漂っている。それだけで幸運がやってくるような気持になってしまう。

剪定され切り落とされた白山吹の枝もまだ元気だったので、書斎兼アトリエへ。
白山吹は私の名前と少し関連のある花。思い入れがあるので処分前の危ないところを救出したような気持になって、大事に窓際へ。初夏のような太陽の光に若葉が透けてとても美しい時間を作り出す。こういう静かでしみじみする幸福を作品にしよう、と少し希望が見えたような気がして元気になる。

”光のあるものを作り続ける事”
私は師匠が亡くなった時に決めたのだった。悲しみや絶望から作品が生まれることも沢山あるけれど、それは私の仕事ではない。「僕らが作り続けなくてはいけないのは、光です」と師匠は言い残してくれた。私もそれには賛成だった。だからこそ、自分自身がどう生きているのかということが非常に重要なこととなった。寂しいことや、悲しいこと、大変なことがあるのは誰もが当たり前のことで、それを人生の根っこの養分に変えて、「優しい喜び」を感じられるものを生み出していかなくてはと思う。優しい喜び、というのは人によって様々なのだろうけど、穏やかで安心感のある幸福に包まれている時間が今の私にはしっくりとくる。ほうっと息をついて、力を抜いてるくらいがちょうどいいのかもしれない。

世間はゴールデンウィーク。海外旅行や行楽で浮き立つ雰囲気をテレビで横目に眺めながら、「体を休める」ということをする休暇として大切に過ごしている。これは「体の声にしっかり耳を傾け、それに従って生活する」ということを実行するため。本来自分の身体が壊れたら生きていけないのだから、当たり前と言えば当たり前のことなのに、それが全然実行できていなかったのだからおかしな事だと思う。少しなら、と無理を重ねて、身体の声を無視し続けてきたと思う。病気や怪我など、突発的に起こることはとても大変で、心も身体も回復するのに長い時間がかかるけれど、それが悪いこととは限らないのかもしれない。起こる事全てには意味があるとよく言うけれど、自分自身がそこから何を学べるかで、一つ一つが大切なことになってくるのだと、小さな白いスズランを見ながら「うん」と頷いてみる。

 

FIRE YOUR IMAGINATION

コラージュ作品制作のために素材を探そうと、古い洋書雑誌をぺらぺらめくっていたら、飛び込んできた言葉が『FIRE YOUR IMAGINATION』。
コラージュをしていると、自分のイメージが全てなのだと痛感します。そして自分の生きる世界も同じなのだと、今ははっきりわかるようになりました。

体を少し休めるために、しばし自宅療養というのをしているのですが、これが意外と難しい。元来じっとしていられない性格なのです。体が動けないほど憔悴していたときはともかく、少し回復してきた時が要注意なのだと、自分を戒めながらの療養です。体を使わなくてもすむような、回復を促す楽しい作業はないかと思い、コラージュの作品を作り始めました。しかしながら、弾むような気持ではないため、イメージはあまり広がらず、何か心弾むものをと探していた時に、そのフレーズが目に飛び込んできたのです。タイルか何かの会社広告のフレーズでしたが、心の中を覗き見されたのではないかと、ドキッとしました。

ーあなたの想像力に火をつけて

白いフレームの階段を駆け上がると、どこまでも広がる宇宙に出る。大切な友人に送ってもらった星の砂を空に少しだけ放ってみる。今と未来、そして過去を繫ぐような世界。気球でどこまで行くのだろうか。宇宙の果て、を目指しているのだろうか。窓の向こう側には星野道夫さんのアラスカの風景も見える。モノクロームみたいな静かな風景の奥に力強い生命が息づく世界。しかし何か物足りない。私のいる世界はもう少しだけカラフルだ。窓辺で花束がこちらに近づいてくる。何のお祝いだっただろう。そう思う間にも、花束の花はどんどん大きく広がって、あたたかな光が射すころに、淡いピンクやレモンイエローのやわらかな花びらが、あちらこちらで次々と花開き、風にゆらゆら揺れている。風が春を連れてきたのだ。

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