時間を深めて

今日は午前中に、ジャーマンカモミールのティンクチャーを仕込む
小さい頃から肌がとても弱くて苦労してきたけど、30代、40代と年齢を重ねてさらに繊細になってしまった。基礎化粧品も市販されているものがなかなか合わず、すぐに赤くなって、ひりひりしてしまうので、ついに自分で作ることに、、、。植物の力は思っているよりも強いものだ。天然成分だからと何でも肌に優しい訳ではないので、まずは皮膚の整肌作用と消炎作用のあるジャーマンカモミールのティンクチャーを作ってみることにした。2週間毎日様子をみながら、じっくりと植物の力を抽出する。
前より少しだけ、自分に優しくして生きることを実行中。

午後からは、神戸で開催されているアーティストの高田竹弥さんの作品展に。
竹弥さんは人柄や生き方が本当に素敵な方で、作品もその人そのもの。
塗り重ねられた色の中に、生きてきた時間、深まる思考がどうしようもなく存在していて、心が動かされる。久しぶりに会えたので、作品についての話を大切に聞かせてもらった。真摯に向き合って生きている人の目は、とても強く、大切な何かをきっと見つけたのだろうと思う佇まいはとても素敵で印象的だった。同じ手法で長く制作を続けてこられたからこそ見える風景があるのだろうなと思う。一つをとことん深めて大事に続けることでしか、見えない風景を、私も見たいと強く思えた。

沢山の種を秘めた紅い実

手元には鍵と鍵穴、そして白い貝殻
新しい物語が生まれそうな夏の夕暮れ

暑さに負けないように、クコの実のジャムを仕込むことにした
種が多いとは知っていたけれど、紅い実が崩れると
小さな種が次から次へと出てきて
あまりの多さに途中で笑いだしてしまう
予想外の事態は、柔らかな笑いを生む
ほっそりした紅い実の内側に、こんなにも沢山の種を秘めていたとは。

 

今日は久しぶりにゆったりとしたお休みで、
午前中調べものをしていたら、なぜか途中でうとうとしてしまい
白昼夢のような浅い眠りの夢をみた
フルカラーの夢で、赤を射し色に配したインテリアが記憶に残っている
ちょっと気分の良い夢だった
こういう夢のときは、良い事の前触れと決めている
明日はこの気分のまま一日を過ごしたいけれど、
夜にもう一度夢をみるから、さてどうだろう、、、

愛の海原に 舟を浮かべて

魂の旅を続ける勇敢な人たちがいる
彼らは臆することなく自ら魂の深みを目指す
その時々で起こる事に翻弄されたり、傷つきながらも、
出来事の奥に込められた意味を理解しようと努力する
何でそこまで?と誰もが思うような場所へと挑み続ける勇敢な人たち

彼らには強く信じるものがある
宇宙の愛の海原
そのどこに船を出したとしても
必ず無事に目的地へと自らの足で辿り着くことを信じている
だから船出する勇気を持っている
目に見える、形あるものだけが成功ではないと知っているから
傷つくことを恐れる必要がないのだと彼らは教えてくれる
挑み続け、歩き続け、体験し続けることが魂の道なのだと
彼らはよく知っている
その一つ一つの経験こそが、魂を磨き
宇宙の愛と一つにしてくれる

星の言葉

のびのびとした、新しい形を探しながら、沢山の線を重ねていく

貝殻の細い筋をイメージしながら描いていると、
途中で、今の色は白ではないと感じ、糸を変えた
するとその線は、大木が枝を伸ばしていく過程のような線となり
大きな広がりを感じ始めて、不思議な気持になる

中心から大きく広がるかたち
星の爆発、太陽の光線
そういった放射するかたちにも似ている
私は宇宙が語りかけてくるたくさんの言葉に、静かに耳を澄ましている

自然界の形はそのままで美しい
今の私のかたちを
そのままに見つめ表してみたい
人は体験を重ねることで、日々成長している
自分で感じられなくても、前を向いている限りは進化し続けている
それに気が付いたとき、糸の線は宇宙の言葉、星の言葉となった

受け継がれてきたものに満たされる時間

久しぶりに京都へ。
朝早く、モダンテラスで友人と待ち合わせして、モーニング。
フルーツオープンサンドと珈琲をいただきながら、やっと再会できたことが嬉しくて、ふんわりと幸せになる。ゆったりと優雅な気持で始まる京都の休日。
午後から仕事だという友人と別れて、京都国立近代美術館で開催中のヴァンクリーフ&アーペル展を見る。手仕事とは思えぬ熟練の技に感動しつつ、別世界のものに見えるハイジュエリーの煌めきに女心がくすぐられてしまった。宝石って不思議な力がある。それを究極の美しさにする職人たちの技と受け継がれる緻密で真摯な仕事。色々な喜びに満たされてしまった。
美術館のコレクション展では、大好きな河井寛次郎さんの初期の作品が沢山展示されていて、また違う感動をもらって再び魂が満たされる。

今日の京都は暑いとはいえ、思っていたよりも過ごしやすく、しばらく歩いて町を散策する。
新しくリノベートされたという村上開新堂の素敵な喫茶室で、一人の時間をゆったりゆったりと楽しむ。こんなに一人の時間を幸せな気持でのんびり過ごすのは久しぶりかもしれない。
焼き菓子と白桃アールグレイのセット。焼き菓子が本当に美味しい。。。村上開新堂も長く受け継がれてきた場所。真摯にコツコツと積み重ねていくことに思いを馳せる。しみじみ本当に良い時間。。。
自分らしい時間。無理をしない時間。

 

宇宙の愛で

昼間に照りつけられたアスファルトの熱が、夕方になっても地上の温度を上げているような夕暮れ。暑さに溜息が出そうになるのをこらえながら、不意に見上げた空に、白くはっきりと美しい半月を見つけた。
空を見上げたのは久しぶりだったので、思いもかけず美しいものに出会えたことが嬉しくて少し眺めていたら、遠くから飛行機が月へ向けて飛んでくる。ちょうど太陽の光が飛行機を照らし出して、キラキラ白く輝いている。月を輝かす光と同じ太陽の光が、頭上の飛行機を照らしている。当たり前の事実だけど、それがとても神秘的なことのように思えたりもする。自分がいる場所と、飛行機、月、太陽が光によって一つに繋がっているように思えたからだ。

先日、自分の魂を知るために、とても貴重な時間を持つことができた。
以前と同じ時間を生きてはいても、世界を見つめる目線が一変した。自分を知れば知るほど、人生は生きやすくなる。本当の自分自身とは、宇宙の一部と同じなのだとわかるようになるからだ。
大きな宇宙に抱かれて、あたたかな愛に包まれ続けて、私は宇宙の温泉に浸かっているような安心した気持になっている。
愛に対する概念や、大きさがすっかり変わってしまった。宇宙と一緒に人生を創造していると、愛は本当に大きいのだとわかる。そして人間はもちろんのこと、植物や動物も、より身近に思えてくる。自分というユニークな人生をめいいっぱい幸せに生きることで、宇宙にその波動が波紋のように広がっていくのだと思うと、人生がより愛おしくなる。

今日、自分のためにと本屋さんで手にした一冊は、西畠清順さんの「教えてくれたのは、植物でした」という本。植物と共に生きてきた人の言葉は、気負うことなく等身大で、心にすーっと届いてくる。今を一歩一歩切り開いて、自らの足で歩き生きていることが伝わってくる。そして何より魂に響くのは、人生を全身で愛する人の言葉だからだと思う。

丘の海へ。

昨日は久しぶりに星ヶ丘のSEWING TABLE COFFEE へ行きました。開催中の作品展を見に行くためと、遅ればせながらの15周年のお祝いを伝えるためでした。

SEWING TABLE COFFEEのお二人と出会って15年。自分らしく、無理なく自然体で生きる姿は、いつ見てもスカッと気持よくさせてもらえます。沢山の人たちが二人の元へ訪れるのも、その大らかな海のような気持良さに共感してのことだと思います。
私がその場所へ辿りついたのは、まだ自分の活動を始めたばかりのころ。その時からずっと変わらずに大切で大好きな場所です。

(写真は自宅アトリエ。インド刺繍のサンプラー(おそらくクッション用)をお守りに。)

時は満ちて

小海老草
祖母から教えてもらった草花の一つ。小海老と名付けられているけれど、葉も萼も柔らかくふんわりとしていて、見た目の印象よりも繊細。そこが魅力的で、風にふわふわと揺らされている姿を飽きる事なく眺めてしまう。

このブログを書いている途中、突然パチン!!と小さな小さな破裂音がして、何かが飛び散ったようでびっくりした。
よく辺りを見回してみると植物の種のようだった。小さな小さな黒い種を三つみつけたものの、何の植物なのかさっぱりわからない。
部屋に飾った植物をそのままドライにして置いているけど、種がついた植物は手元になかったので、とても不思議でしようがない。。。しばらく追跡しようと試みたけれど、謎は謎のままに。そんな一日があってもいいだろうと思い直し、再びブログを書き始めることにした。

目に見えていないところで、大切な物事の種は順調に育ち、時を温めている。
そして時が満ちた瞬間に、待ってましたとばかりに破裂してこの世界に飛び出してゆく。
(なんだか前回のブログの続きを書いているよう。。。)
一人の人間が見ている世界というのは、本当にほんの一部なのだと自覚する。
小さな種の爆発は、私の意識の目を開かせる。それは広大な宇宙で星が爆発するのと同じくらい大きな影響力を持つ。その証拠に、私は始めに書こうとしていた内容を離れ、星の爆発のことを書いている(笑)

さっき私のもとに飛んできた種は土に植えて、宇宙の循環をさせてみようと思う。

新しい生命を宿す期間

「直観、それは、独特で形に現れていないものの位置を定めるために、物事の核心に迫っていく道筋を知性で感じとる方法である。現実を相対的に認識するのではなく、絶対的に把握し、現実の外に観点をとるのではなく、その中に立ち、いかなる翻訳や象徴的な描写にもよらず現実を理解する方法、それが形而上学である。」アンリ・ベルグソン

庭のカラーが美しい曲線を描いていたので、不意にジョージア・オキーフの二つのカラーリリーを思い出して画集を開いた。彼女も「より深いもの、本物の生きた形」を表現したいと努力し続けた人。
その本の中に、ベルグソンの言葉があった。
自分が今生きて感じるもの、そこにある生きた形を、もっと生き生きと表現する方法はないだろうか?
私はそういうところと、今じっくり向き合っている。向き合う時間をすっ飛ばして、行動を起こしていくと、たちまち空虚なものが生まれてくる。それをここ数年で痛感したので、我慢強く向き合っている。

動けないことにイライラじれったく思っていたけれど、それ以前にすべきことがある。
芸術家が自分から目を背けたら何も生まれない。
作品を制作する過程で大きな愛と一つになるとき、私はその作品の中にいる。だからこそ直観のままの魂がそこに浮かび上がってくる。

出産には命を温める期間がある。小さな魂が、現世で生きる力と形を持てるまで、母なる子宮は静かに育て続ける。目に見えないところで、力強い命の躍動が起こっている。
その期間を飛ばして出産することは出来ない。そう思うと、今の時期をとても大事に感じることが出来る。10年ほど、戦い続け、前進し続けてしまったから、今は本質にそっと立ち返り、新しい命を宿す時期なのだと感じる。

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