新しい生命を宿す期間

「直観、それは、独特で形に現れていないものの位置を定めるために、物事の核心に迫っていく道筋を知性で感じとる方法である。現実を相対的に認識するのではなく、絶対的に把握し、現実の外に観点をとるのではなく、その中に立ち、いかなる翻訳や象徴的な描写にもよらず現実を理解する方法、それが形而上学である。」アンリ・ベルグソン

庭のカラーが美しい曲線を描いていたので、不意にジョージア・オキーフの二つのカラーリリーを思い出して画集を開いた。彼女も「より深いもの、本物の生きた形」を表現したいと努力し続けた人。
その本の中に、ベルグソンの言葉があった。
自分が今生きて感じるもの、そこにある生きた形を、もっと生き生きと表現する方法はないだろうか?
私はそういうところと、今じっくり向き合っている。向き合う時間をすっ飛ばして、行動を起こしていくと、たちまち空虚なものが生まれてくる。それをここ数年で痛感したので、我慢強く向き合っている。

動けないことにイライラじれったく思っていたけれど、それ以前にすべきことがある。
芸術家が自分から目を背けたら何も生まれない。
作品を制作する過程で大きな愛と一つになるとき、私はその作品の中にいる。だからこそ直観のままの魂がそこに浮かび上がってくる。

出産には命を温める期間がある。小さな魂が、現世で生きる力と形を持てるまで、母なる子宮は静かに育て続ける。目に見えないところで、力強い命の躍動が起こっている。
その期間を飛ばして出産することは出来ない。そう思うと、今の時期をとても大事に感じることが出来る。10年ほど、戦い続け、前進し続けてしまったから、今は本質にそっと立ち返り、新しい命を宿す時期なのだと感じる。