人生の栄養となるもの

ポートフォリオを作り直しながら、この17年間を振り返る。
好きだけで始めたことが人生の半分ほどを作ってくれた。
刺繍での表現は私の大きな転機となったけれど、ここでまた転機が訪れるとは思っていなかった。
人は進化し続ける生き物だという。
そして私は魂を磨くように修練し続ける生き方が性に合っているのだと思う。

作ることを通して沢山の方と出会い、一つ進むたびにその出会いが深まったり、または新しい出会いへと繋がってくれた。活動初期の頃に作品を見て下さっていた方に、17年経ってようやくお会いする機会ができたのも、活動を続けている中でのご縁からだった。そのたびに出会いは大きく循環しているのだと思わされる。一人の人との出会いは、一対一だけでは終わらない。そして今という時だけでも終わらない。
一人の人の人生と自分の人生が出会うことは、思っているよりもずっと壮大なのだと思う。

一時期、それを怖いと感じたことがあった。鞄作家という肩書きがまだ新鮮に聞こえたころ、知り合いがどんどん増えていき、人との交流が飽和状態になってしまった気がした。そして自分と他者の境界線がうまく見いだせず困惑した。一つの出会いを大切にしたい気持は、出会いのスピードに追いついていかなかった。その頃に、刺繍をし始めたのだったと思う。外側の人生がどんなに目まぐるしく進んでも、自分の人生の舵は自分でとろう。そう思っていた。心を鎮め一針を見つめることは、人生にもう一度しっかり根を張るような作業だった。そして一昨年の腱鞘炎は、そのことを改めて見つめさせてくれた。
人生の根を張ることばかり考えていたのかもしれない。どこまでがんばっても、根っこがまだ足りないのだと思っていた。でも、もう充分なのだと手が教えてくれた。そろそろ地上へ、空へと自由に枝葉を茂らせて花を咲かせていく時期なのだと、自分自身の体に言われた気がした。
葛藤したり、もがいたりは栄養の一つなのかもしれない。苦い物を嫌わずに受け入れることは、思わぬ力になる。何度も立ち上がる力や、新しいものへ挑戦する力。もうそろそろ甘く優しいものも受け入れようと思うけれど、、、(笑)

作ることの一つ一つが人生の栄養になっている。それを改めて知り、もっと大事に誇りにしようと思った。