全身で呼吸する姿

作品のために一つを深く見つめる時間を持っています
庭のオレガノはKento Beautyという観賞用の花が咲くもので、萼の部分が光に透けると本当に美しい。じっくりと眺めていると、蝶の羽根模様にも見えてくるし、人の血脈のようにも思えてきます。ミクロからマクロへ目線を変えると、全ては一つのものなのだと思えてなりません。仔細にスケッチして思うのは、形の美しさはとことん見つめてしまうと形から離れていくということ。葉脈の作り出す形は生命が自身の体を育てるための道。植物だけでなく、人や動物の中にも同じように広がっている美しい生命の広がり。全身で呼吸する姿。命が次世代へ受け継がれていくための流れ。土からの栄養、水、空気、太陽の光、風など、様々なものが一つに繋がりながら生まれた緻密で美しい佇まい。

Serendipity

今日は久しぶりに大好きなパティスリーへ行きました。
大阪の本庄西にある「le tempo de l’escargot」です。名前も素敵なのです。
静かな住宅地の中にあるお店には、その日のおススメケーキが小さなショーケースに並んでいます。店主さんの世界観が心地よく伝わってくるパティスリーです。店内でゆっくりと抹茶のオペラとアイスティーを頂き、いい気分になってお礼を伝え、帰ろうかとドアを開ける寸前に、壁に貼ってあるフライヤーに目が留まりました。
白い素敵なドレスシャツのフライヤー、行きたくて行けずにいたTabrikのcollectionでした。
京都で開催された展示会に行けずとても残念に思っていたところだったので、神戸でちょうど今開催されていることがわかり、幸せな気分に。行きたいところには、ちゃんと行けるようになっている☆

今月は自分の好きなものに、改めて深く触れる時間を沢山持とうと思います。

五感のためのレッスン

ハーブの優しい作用を生活に取り入れて楽しんでいます。
今日は朝からラベンダービネガー、ローリエオイル、エルダーフラワーのコーディアルを仕込みました。コーディアルを作るとき、ハーブを濃いめに煮出すのですが、その時間は本当に良い香りが漂っていました。オイルやビネガーにハーブの香りとエネルギーが移るのには少し時間がかかりますが、待つこともまた楽しみです。
最近は少し疲れてきたら、ハイビスカスとローズヒップに自分好みのハーブをブレンドしてハーブティーを作って飲んでいます。色々試していると、ふっと自分の好きな味になることがあり、お気に入りのブレンドを見つけることができます。
味覚、嗅覚の感覚も鍛えられてきます。普段何気なく料理をしていますが、野菜を切ったり、果物の皮をむいたりする時にも良い香りがすることに気が付いたりします。

最近思うのは、生きていくうえではあまり感覚が鋭くないほうが楽でいられるし、そのほうが良いことも多々あるということ。ですが、生きているという実感を沢山味わうために五感を沢山使って生きていたいなとも思うのです。

雨上がりの道に吹く風

太陽のエネルギーが高まってきたのと時を同じくして、ようやく体が回復したことを感じました。風が本当に清々しくて、それだけでも感動してしまいます。
4月に入院、手術をして、その後自宅療養で傷の回復を待つ間、40年の人生の中でも一番かと思えるほど静かな日々を過ごしました。体の組織が回復するのには、思いのほか時間が必要なのですね。とても貴重な時間を与えてもらえた気がしました。

 

今日は形を残さないコラージュ作品を、ジャズのアドリブ演奏のように制作しました。
一瞬の奇跡を楽しむ時間。何も形に残らなくても、体でまるごと感じることに意味がある。きっと何事も、経験したことは心身の栄養になって、自分の魂を育ててくれると思うのです。

愛を運ぶ

体は静かに強く語りかけてくる
あなたは声を取り戻したのだと

私はすぐに返事をする
声を取り戻しても語る言葉が見つからないと

体は安心したように微笑んで言う
探すのをやめたほうが、早く見つかるものだと
頭を使わずに声を使えばいい
その方がずっとあなたらしい言葉が出るはずだからと

体との対話はとても豊かだ。
体の隅々へ心を向けていくと、小さく固まったものが解かれ
そこへ優しい空気がふわりと注がれる。
体へ愛を注ぐということは、そのまま自分へ愛を注ぐこととなる。
それが出来ることで、ようやく人を愛することの意味を知る。
体は魂を運ぶ舟。
愛することを荒々しくも教えてくれる

 

 

 

wise woman

ハーブのことを少しずつ勉強していく中で、ワイズウーマンの考え方というものを知りました。病気や怪我や、人生の中で起こる否定的と感じる出来事を、そのときだけの部分的な対処法で治療して終わるのではなく、もっと大らかに全体として捉える考え方です。何かが悪いからそれが起きたとは捉えずに、問題を取り除くことではなく、問題が運んでくれる意味や栄養となるものを見つける事に目を向けることによって、「命」という全体を見つめていきます。一人一人が独特であることを認め、そこから紐解いて自身の体や心の健康を全体的に見つめていきます。一人一人が健康であるということは、取り巻く人々も同様で、家族や共同体の健康へと広がっていく考え方です。女性にとっての体の問題も特に大切なこととして、大らかに見つめていきます。男性社会の中では、どうしても女性の体の問題は否定的な見方をしがちですが、大切な本質を改めて認識することで、自分自身をしっかりといたわり、命を育む力を持つ事ができるように思います。

最近、疑問に思っていた事が、今日その考え方を知る事で腑に落ちました。
治療するだけでは、根本的な問題に辿り着きません。また同じ事を繰り返してしまいます。もう一度生き生きと、生命力に溢れながら生きるための力を養うために、人生がひっくりかえるほどの出来事が自分の身に起きたのだとすれば、今この時間を何よりも愛しく大事にして、体を癒し、学ぶ時間に変えようと思います。

もし変えようと思うなら、本当に変えようと思うなら、世界は変えられる。
という有名な言葉を不意に思い出しました。
世界とまではいかなくとも、自分を変えるというのは、簡単なことではありません。慣れ親しんだ習慣から、人はなかなか変われないものです。それを変えるのには、やっぱり小さな一歩となる勇気、そして時間が必要です。でも本当に変えようと思ったとき、人はちゃんとその方法を見いだせるようになるし、時間も与えられる。本当に変えようと思うタイミングがきたときには、本当に変えられるのだと思います。

夕暮れを待ちながら

待つということが昔から苦手です。何事もつい前のめりになってしまうのです。
手仕事をし始めてからは、毎日が修業だと思い、「淡々と生きること」の鍛錬を積んできたはずなのですが、未だ習得できていないよう。そんなもの、かもしれないけれど。

自分の体の事となると、よけいに前のめりになってしまいます。体力の回復がものすごくのろのろしているように感じるのです。この原因は、自分の体年齢がまだ20代くらいだと思い込んでいるせいかもしれません。自己認識が足りないだけなのでしょうか、、、願わくばもう少しだけ大らかに、イライラせずにいられたらと思うのだけど。
そんな訳で、このところ自分の取扱いに難渋していました。

のろのろした日々でも、毎日一つくらいは小さな発見があって、それを眠る前に思い出します。
風がビュービュー吹いている中でも、枝から吹き飛ばされない葉がほとんどだという事なんかは、小さくても素敵な発見でした。
なりゆきにまかせて、自分の出来ることを最大限大切にしているなら、それで充分。葉っぱはそんなことを思わせてくれました。
今はちょうど、夕暮れを待つでもなく待っているところ。

一粒の星と千年の炎

一粒の星をそっと手のひらに包んだ。
それはずっと昔、一度つかみかけたものでもあり、もう忘れそうになっていた情熱の欠片でもあった。

 

「私たちの体を作るすべての要素は、星屑で出来ている」
私が大好きなお店の店主で、煌めく人は、その言葉をとても大切にしていた。
宇宙にある原素と私たちの体は同じもので出来ている。私たちを分け隔てるものは、本当は何もないのかもしれない。たとえ現世に肉体が存在しなくなったとしても、広大な宇宙の中で、時空を超えて星の欠片となり存在し続けていく。
宇宙の星がその一生を終え燃え尽きるとき、大きな爆発が起こる。一つの星は一度消滅して、その星の欠片が宇宙へ広がって、新しく煌めく命となる。小さな欠片は力を秘めた一つの生命。

 

手のひらの一粒の星は、静かな情熱を宿している。
私は不意に、千年以上燃え続ける炎を思い出した。
あの燃え続けている炎のような、しんと心を打つ炎。
そんな情熱が、私の手のひらに、ふわりと戻った。
一粒の星を、今はただ信じている。

小鳥

裏の家の人は、庭の手入れを一切していない。だから若葉の清々しいこの季節になると枝がぐんぐんと伸びてきて、二階の窓からも見えるくらいに育ってしまう。そのおかげで、私の家は山の中でも、森の中でもないのに、沢山の鳥の声がする。

今日小鳥が本当にすぐそばまで来て、遊びながらチュンチュン鳴いて近寄ってきた。
警戒心はゼロだった。
人は心が解かれていると植物や動物に近くなれるのかもしれない。
毎日森の中で生活していなくても、ストレスから無縁で調和がとれていれば穏やかでいられるし、自分を包む気配も変わってくるのかもしれない。

日常ではなかなかそうもいかない。
思うようにならないことが沢山だし、世界は不調和なことの方が多いから。
それでも、こうやって暮らしの中でひとときの調和を感じられることは、調和のある人生の一部なのかもしれない。

世界をまあるく包む風

ほのかな日射しがある木陰のベンチを選んで腰掛けた
生まれ育った町の見慣れた公園も、今の私には少し別世界のように感じる
まるで日常世界から切り離されてしまったような時間が、誰の人生にも一度か、または何度かはあるのだろうか?
ぼんやりそんなことを考えていたら、風が話しかけてきた
といってもこちらがそう思っただけのこと
風は木々の葉をさわさわと揺らしながら私の周りを吹いている
でも、いつものように吹き抜けてしまわずに、ゆったりと循環しているよう
安らかな暖かい空気で、世界をやわらかに、まあるく包んでくれている
風がこんなふうに吹くのはめずらしい

1 20 21 22 23 24 25