自分のなかに流れる音楽

9月に入って、急に風が透き通って、秋のいい匂いを含みはじめた。
今年はその変化が急激にやってきている。

今日は個性を大事にするということの、本当の意味に触れる出来事があった。
最近自分が接する人たちが少し変化していて、早口で沢山しゃべり、沢山笑う人が増えていた。そして、私はというと、それを微笑みながら静かに聞いていて、たまに相づちを打つという感じ。早口で話すのは苦手なので、その話の早さに付いていけないのが正直なところだった。そのことにだいぶ気後れしていた。
そしてふと気が付いた。自分のゆったりしたリズムを卑下する必要もなく、良い悪いとジャッジする必要など全くないのだと。個性とは、その人の生きる時間そのものだ。人と違うからといって、それをどうして、いつから悪いことだと判断するようになったのだろう?

個性を大事にするということは、自分の持つリズムや生き方を大事に尊重すること。
他のものと合わないとき、無理に合わせる必要もなければ、自分をゆがめる必要もない。
私は時々、個性的であることをゆがめて、世間一般に合わせなくちゃと思う時がある。それはその他大勢というものが力を持っているような気がするときなのだと思う。個性が強いということは、時にその他大勢以外で「ぽつん」と一人を経験することがある。それは仕方のないことなのだろう。人と違うことはユニークであるということ。
個性にブレーキをかける必要など一つもないのだ。大事にすべきは、自分の中に流れるリズムや音楽。そこに呼応するものを心地よく感じ、そうでないものは少し違和感を感じるだけのこと。改めて自分のリズムを大切に感じ、個性を愛おしいものだと知ることができた。
それはナルシズムではなく、自分の価値を認めるという根本的な事なのだと思う。
私の周りの早口で沢山話し、よく笑う愉快な人たちは、それを身をもって教えてくれた。