記憶にのこる風景

この風景をいつか思い出すのだろうと思う。
小さい頃からの、楽しいこともそうでないことも、記憶を大きく包みこむようなあたたかな風景。
私には田舎と呼べるような場所がないのだけれど、育った地域から歩いて40分くらいのところに、夢みたいに素敵な風景がある。
秋の終わり、この時期だけの花畑が今も大切に保存されている。
愛おしい風景。

花畑は少女のころの憧れだった。
頭のなかで、そこに咲く花を両手いっぱいに抱えてみる。
小さな可愛いらしい花が一斉に咲く事で、
世界にその存在を大きく知らせているみたいにも思える。
だからか、優しく穏やかなのに、圧倒されてしまう。
冷たい風が吹き抜けたら、この風景も次第に消えて、
枯れた花々は、次の季節に備えるための大地の養分になる。
ダイナミックな自然のサイクル。
そして私を含めた全ての人が、その一部として生きている。

ダマスクローズの香りで潤いを。

先日やっとハンドメイドの化粧水が出来上がりました。
ダマスクローズのローズウォーターとカモミールのティンクチャーを使って。
ローズの香りは以前はあまり好まなかったのですが、アーユルヴェーダの先生とお話する機会があり、色々と教えていただきました。今の私の体の状態だと、ローズが体の内側に潤いを与えてくれると聞き、使ってみることにしました。朝晩、化粧水をたっぷりと使うたびに何やらうっとりするような気分になります。
香りに色がある訳ではないのですが、ダマスクローズの赤色や強いピンクのような色が自分を包んでくれるような気分になれます。嗅覚と脳とイメージの関係はとても面白く、作品を作るインスピレーションにもなります。私は元来とても女性的な性質を沢山もっているのですが、それを表現しないようにマニッシュな服を着たりしていたことにも気が付きました。一人で仕事を切り盛りしていたころに、そんな習慣がついてしまったのかもしれないです。男性に負けないように、必死で壁に立ち向かい、自分の道を切り開いていたのですから。。。それも仕方がなかったのかもしれません。

 

刺繍を再開してから、手の調子もさほど悪くなることもなくホッとしています。
純粋に「作る喜び」を味わうために、腱鞘炎で作れない時期があったのかもしれません。

暮らしと手仕事。
工夫する喜びと美を追求するこだわり。色々な喜びを暮らしの中で感じながら生きることで、本当に豊かな時間を過ごすことができます。
お金が沢山あって、何もかも買えるとしても、私はきっと同じ生活をするのだろうなと思います(笑)ダマスクローズは、本来の自分に戻るきっかけをくれたように思います。
ハンドメイドとは、何が本当に必要なものなのかを、しっかりと自分に問う時間でもあります。自分の手を使うことで、本当の自分を見つめる大切な時間になります。

実りがもたらした調和

ある人がSNSでふと零した言葉が、とても素直で正直で、なんだか良いなと思った。
その言葉は、少し落ち込んで思わずこぼれた弱音だったけれど、正直で、言葉になんの違和感もなく、すっとこころに届いてきた。
魂で生きる人は強くて弱い。弱くても強い。
ありのままで真摯に生きようとする姿が、その言葉には自然な形で現れていて、
だから弱音だとしても、素敵な言葉だと感じた。
こころに優しく響く体験だった。

 

台風のおかげで久しぶりに終日作品を作る時間が持てた。
作るリズムのようなものが甦ってきて、「そうそう、こういうリズムだった」と
やっと自分に戻れたような安堵感を感じ嬉しくなった。
以前は鞄のデザインを表現の手段にしていたけれど、
今は糸で線を描くことだけで充分のように感じている。
そしてとても充実している。
手縫いで美しく線を描き続けることは、意外に難しい。
集中力が切れた途端に、ひょろっとおかしな線になる(笑)

小さなハートのオーナメントも少しずつ仕上がって、保管の為に並べて吊るしている。
何だかそれは林檎の様な実が、たわわに実っているようで、
見るとつい微笑んでしまう。
(ハートと林檎は似ているのだろうか?)

作品制作の時間を取り戻せたことで、自分に調和が生まれたからか、
「すでに手の中にあったもの」がよく見えるようになった。
自分を必要以上に飾り立てなくても、もう充分なのだと思った。
これ以上他の何かを加えようとしなくても充分。
作ることは、すでに私の一部だった。
私は自分以外の、一体何を目指してあんなに必死だったのだろう、、、(笑)。

1本の道を歩きながら

ただ毎日コツコツと一針を重ねて
何もなかったところに小さな形が生まれていく

どんなに華やかに見える世界でも、日々の仕事というものは
本当に地道なことの積み重ねなのだと、最近つくづくそう思う。
自分の道を歩き始めた瞬間から、その地道さに気が付く。
アーティストが毎日個展を開いている訳ではなく、
一人で黙々と作品を作っている時間のほうが長いのだ。
まず手を動かす。そして試行錯誤の繰り返し。
地道な作業を嫌いにならずに続けられる力や、良い作品が生まれない時にも
めげずに踏ん張れる力が一番の才能なのではないかと、私は常々思っている。
だから一つの道をコツコツ一生続けられる職人さんやアーティストを、
私は本当に尊敬している。

石の上にも30年。私の師匠が言っていた言葉。
30年がんばって、ようやくその世界に近づけるのかもしれない。
そのために、今できることをコツコツ。
一針を重ねられる喜びに感謝しながら、コツコツと。

Parisのツバメ

大好きなお店が昨年20周年だったことを、つい最近知った。
北堀江のシャムアさん。
カフェとフランスアンティークの食器や生活雑貨のお店で、店主の松橋さんは北堀江のマリア様と言われているほどに素敵な方。お店の中は松橋さんの買い付けてきた素敵なもので溢れている。可愛い雰囲気だけど、可愛いだけではなくて、その中に歴史と思いがしっかりと見えるお店。
数年前に上階の屋根裏のようなお部屋をギャラリーにして、色々な作家さんを紹介してくれている。

長くお付き合いさせてもらっているけれど、昨年はなかなかお店に伺えなくて記念のタイミングをお祝いすることが出来なかったことがとても残念だった。
今年は時間が沢山できたこともあり、ちょくちょく顔を出させてもらっていたので、12月に開催される手仕事展に参加させてもらうことになった。
せっかくだから、シャムアの大事なモチーフを刺繍したいなと思い、お聞きしたところ、ツバメが大好きだということだった。よく見るとお店のいたるところにツバメモチーフがあって、その中から一つだけ選び、その形を刺繍の図案にさせてもらった。

ツバメはオスカー・ワイルドの「幸福な王子」で愛の鳥だったし、ヨーロッパのアンティークジュエリーなどのモチーフとして好まれていた。幸せや平安のシンボルになっている。

いつもならブローチはレザーで裏張りしてすっきりとしたものを作るけれど、今回はシャムアの柔らかなイメージにしたくて、少しふんわりと優しい触り心地のブローチ。

松橋さんは、私の手仕事をずっと見守って応援し続けて下さる人。
活動がうまくいっている時も、そうでない時も、変わらず応援し続けて下さって、本当に心が救われていた。うまいっている時というのは、周りに人が沢山集まってくるけれど、そうでない時にもそばにいて下さる人は、本当に大切にしたいと思う。

私も今年で17年目。松橋さんのシャムアのように、素敵な歴史を紡いで20年を感謝できるように、一つ一つ大事に作り、やわらかな愛の循環を続けていきたいと思う。

一粒に、無限の宇宙を見る

つい先日のこと。
風邪が悪化してしまい、声が出にくくなってしまったので急遽出先から帰宅する途中で、以前アルバイトをさせてもらっていたドレス会社のアトリエのマネージャーさんと偶然再会した。熱っぽくぼんやりしていたので、支離滅裂な会話をしたように思うけれど、偶然出会う時というのは、そんなものかもしれない(笑)
ああしなくては、こうしなくては、、、というような思考に余計なコントロールのないとき、物事は思わぬ方向から素敵なことが突然やってくる。昔からよくミラクルが起こる人生なのだけれど、何かに夢中で生きていると素敵なことも惹き付けられてくるのだろうなと思う。

制作中のオーナメントは少しずつ増えてきて、デスクの上が楽しいことになっている。
たまにスキャパレッリの本のページを開く。囚われから自由になりたいときに。

どんなに小さい作品の中にも、無限の宇宙があるのかもしれない。
作品に何かを感じるのは作り手ではなく、見る側の共鳴によるもの。見る人がこの小さな作品の宇宙と繋がったときに、急に世界が広がって、そこに物語が生まれる。
そういう共鳴の喜びを知っているから、作品を作り続けているのだろうと思う。

オーナメントの紐に使った繊細なレースは、佐渡に移住した知人から引っ越し前に譲ってもらったもの。スイスで手に入れたアンティークレースだから作品に活かして欲しいということだった。何かぴったりくる作品を作る時に使おうと思って、ずっと取っておいたものだ。刺繍の雰囲気ともぴったりだし、今年のクリスマスは何だか特別な感じがするから、大切に仕上げていこうと思う。

 

小さな作品

12月に小さめの作品を少し展示販売することになりました。
クリスマスギフトの手仕事。

腱鞘炎の手を休めるために、長い期間作品発表の場を持たずにいましたが、ようやく少しずつ作れるようになってきたので、小さな作品からお届けしていきます。
ギフトになるものを、と思いながら制作を始めましたが、「作れること」自体が私にとってはギフトでもあり、作る喜びをしみじみ感じて、じんわりあたたかな気持になります。
当たり前のことが、当たり前でなくなったときにその大切さが身にしみてわかります。
月並みではありますが、作る喜びに愛溢れる作品なので、今から楽しみにしていて下さい。
詳しい日程はわかりしだいアップします。

さて。
作品展のとき毎回、何か新しい技術を取り入れていくということを心において仕事してきたのですが、今回も新しいステッチを一つ取り入れました。
今までは糸で空間を埋めるように刺していたのですが、空間をあけることで糸の線に風をいれるような心地よいステッチです。
人生に対して真面目なほど、一つ一つの物事に対してもとことん完璧を目指そうとします。私はそういうところがあって、突き詰めるほどがちがちになっていたように思います。どんどん武装を固めてしまうような、良い加減を通り越してしまう時があるのです。

手を痛めたことで、自分にとってベストな生き方を知りました。
それは「良い加減をキープすること」です。
心と身体の声を聞きながら、それ以上は目指さないということ。
自分の限界を知ることは、誰にとっても悔しくて辛いことですが、それは限界というよりも、もうすでに自分のベストに充分到達していたのだと受け入れることが大切。
それを深め、愛することのほうが今は大事な気がしています。
自分を知るということは、きっとそういうことなのだと思います。

手の中に残った言葉

ここ数日、ずっと手紙の返事を書いている。
そして書いては捨てている。

それはなぜか。
メールではなく、手紙をくれた友人へ向けて、
本当に伝えたいことだけ言葉にして
短くても心が伝わるようにと書き出すのだけれど、
何故か全ての言葉が自分へ向けて言われているように感じてくるのだ。
自分が自分へ向けて書いているような、奇妙な気持になって、捨ててしまう。
根本的な問いの答えは、同じところにあるのかもしれない。

何度も書いて、手元に残った言葉を
短いけれど心を込めた返事にして、近々送ろうと思う。

奇妙な味付けの日

お昼にパッタイ用の米麺で温かいスープ麺を作ってみた。
久しぶりのタイの米麺料理は、薄味にしすぎていまひとつ。ぼんやりした味になってしまった。昔NYで食べた楽しく美味しい味の記憶にはほど遠い。

夜ご飯のあと、癒しのハーブティーをと思い煎れてみたけれど、これまた変なブレンドの味。お世辞にも美味しいとは言えない味になってしまった。

まあ、こういう日もある。

それでも、夕方に観た映画はとてもよかった。
ここ2週間くらいの間ずっと気になっていたジム・ジャームッシュの「パターソン」をようやく観てきた。何度か予定に入れていたのに、なぜか足が進まず伸ばし伸ばしになっていた。でもやっぱり観ておきたくて、ようやく。

いつまでも、こういう映画を愛おしいと思える自分でいたいと、静かに思う。

草編み

重陽の節句の9日に、草編みのワークショップを受けました。
編み紐の作り手の中村未来子さんは、ラトビアでのハーバルツアーがきっかけで草を紐に編み込んで作品を作る事を始めたそうです。
三つ編みをアレンジして草を編み込んでいく方法は、とても簡単だけれど面白い。
星ヶ丘の原っぱに咲いている雑草から、素敵な作品が生まれていきました。
編むという作業は単純で根気のいる作業。あまり得意ではなかったけれど、やり始めると面白くなってしまい、次はこんなんを作ろうかな?とあっという間に何個か出来てしまいました。

創造する作業は本当にワクワクする。作ることが本当に好きなんだなあと実感。
外で自然を感じながら、自然を素材として作る草編み。
純粋にその時間を楽しめるのは、とても幸せ。何かのためでもなく、誰かのためでもない。
ただただ草を編み、おしゃべりをして。良い時間でした。

中村 未来子 編み紐作品展 with plants
2017.9.6-17 SEWING TABLE COFFEE

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